インスタ&FB依存で「うつ」になる中高年が激増…

要するに世代も性別も関係ないわけじゃないか。

「常にインフルエンサーの成功を見せつけられている」

10代女子の精神的不調が激増中…

https://bunshun.jp/articles/-/56550

インスタ&FB依存で「うつ」になる中高年が激増…

https://biz-journal.jp/2017/12/post_21794.html

さて。

僕は独立以降あまり気落ちしない。

最初に言っておく。全然成功してないし、そもそも成功しようと言う気がないし、生きて毎年祭りに参加できればそれでいいだけの男だと言うとるのだ。何度も言うとるのだ。

が、正直、その、なんだ。遠回しに「お前のFBを見てると腹が立つ」と言われることが、ごく稀にある。嘘、たまにある。どうにもなんか「楽しく生きてる人間代表」みたいに思われるらしいのだ。

それは畢竟、自分がこう言うデジタル分野での文章書きに相当慣れているがためであり、この分野での自己演出がたまたま大好きだったから「楽しそうに盛っている」に過ぎないのである。「あまり刺激すると仕事が減るよ」と言われても、仕事よりも自分の発言の方が大事な僕にはどうしようもないのである。発言や思考止められたら死ぬのである。他者の演出を見てもそれはそれでまた楽しくなるのである。盛り方も人それぞれだろう。それを楽しむのがSNSじゃないかとさえ思っておる。同じ脚本でも、演出家でガラッと雰囲気が変わるだろう。アレだアレ。

ただとりあえず、楽しく生きてること自体は間違いない。そこは嘘偽りない。こんな三流へべれけペテン師人間を楽しませてくださる方々に感謝の気持ちを込めて。

いまだに「えび天出て金監督なってやる!」「ジャンプ放送局にはがき乗ったぜイェー」をかっこいいと思う価値観で生きてるので、そりゃ令和の四十代にはなり損ねているわけだ。

他者と比較することができないほどに道を踏み外し、主観的幸福感だけで生きている迷い人のSNS文章がこちらでございます。

審査員

先日のイベント、ハッピープレビューでの一幕。

なかなかコロナ禍が落ち着かない中、イベントを行うことの難しさは筆舌に尽くしがたいとは思うものの、プロデューサーの判断により少人数で開催に漕ぎ着けたこと、嬉しく思います。

僕はまたコメンテーター、審査員、神出鬼没の変態紳士としてその場を盛り上げる役目を仰せ使いました。

ありがたい、よねぇ…。こんなどうしようもない僕が、栄誉ある席に立たせていただくだなんて…。

取り立てて僕は何もできることはありません。皆が作った作品を楽しみ、喜び、皆の頑張りに精一杯の拍手を送るのが僕の仕事です。全力で、僕はこれからも皆様のサポートを続けます。

本当に、無垢に無邪気に、僕を慕ってくださる方々のありがたさがとても染みるこの頃です。

いや、ちょっとね。最近疲れることが多くって…。

お天道様に背くような行動はしておりませぬ。すべての正義はいつか白日に出てきます。それを信じて、口元を引き締めて。

決して、品格のない言動はしないように。

帰省

久々に。本当に久々に。

なんの予定もなく、地元高岡に帰ってまいりました。

ほんの一泊だけ。両親に顔を見せるだけの日になってしまいましたが。

できたことは、両親とのお昼ご飯、そしてお墓参り。宮参り。

たったこれだけですが、僕にとってはコロナ禍以後、出来ないままにずっと引っ掛かっておりました。

…8月に入り

人との縁が変わる時期と感じています。

離れたり繋がったり、これまでの人との縁が少しづつ変わっています。

オカルトやスピリチュアルなこと言うつもりはないんだけどさ。

中学高校時代のピアノの先生にご挨拶ができたり、独立初年度に世話になった先生とLINEでやりとりを始めたり、本当に幸せな縁戻しも多い8月です。

きっと…今の「縁が変わっていく流れ」は、うちの祖母の力だと思っています。

昔から、祖母のパワフルさに僕はずっと導かれていました。

祖母が亡くなった年、僕の売上は爆増しました。

あれはきっと、

祖母が「たすく!あんた仕事せられんか!」と向こうからどんどん面倒を見てくれたからだと信じています。

「あんたこれやられ!」

「この仕事したらあかん!」

今、また遠くの声が聞こえてきます。

最近の縁変わりには意味がある。おばあちゃんが観ている。

もちろん、おじいちゃんも、そのほか沢山のご縁いただいた方も、ね。

ちゃんと「ありがとう」と挨拶しないといけないな、と言う思い。

少しだけ、果たして参りました。

背筋は伸ばしてこうべは垂れて

身の丈以上に大きく見せようとせず

自分の器に無理をせず

まだまだ、みんなに面倒を見てもらったまま、よちよち歩きで頑張ります。

まんじりともしない朝

この日、僕は覚えている。

その前日、社内で言われ無き吊し上げにあい、僕は退職を決意しました。

その後も煩悶は続き、妻とも相談の上、お互いに心中を覚悟で実際に退職届を出したのは8月27日です。そこまでの苦闘と苦悩、そして履歴(様々なデータ)はいつの日か公表するときが来るでしょう。

いや「僕に真があり、誠がある」ことが社会的に立証されれば、そんなことをする必要もないかもしれません。

今日の記載で、大事なのはそこじゃないのです。

退職を決意したその日、見た空はとても青かった。

本当に、人の目に見えるものは、精神状態で大きく変わる。

「空ってこんなに青かったんだ」

退職を決意した僕は、その瞬間に彩度を取り戻しました。

大丈夫。今、その環境で苦しんでいる方も、必ず素晴らしい人生を送ることはできると信じているし、そのために僕は「映像」という武器を使って、自尊心を保って生きる術を伝えている。

人生は素晴らしい。

貴方の素晴らしい人生を踏みにじる人から離れましょう。

生きていけるから。

金なんて、生活費なんて、小さな問題でしかないのだから。

感謝の気持ちと礼節を持ち、その上でなお芯を持つ

僕は仕事が多い。ご愛顧頂いている。

ご依頼も多い。

そう書くとやっかみも生まれる。

知ってる。

でも、事実だから仕方ない。

上に、ご依頼が多いからと言って僕に能力があるとか

才能があるとか商才があるわけでは決してない。

たまたまニーズに「スポッ」とはまっただけなのだから。

むしろ世の中の潮流が僕の近くに居てくれただけというか。

自分でマーケット探したわけじゃないし、次を探る気もない。

マーケティングはようわからんし苦手です。

来年、依頼がなくなる可能性は大いにある。

来年仕事がなくなったら、やっかんだ方々は言うのだろう。

「あいつは没落した」

「いい気になって調子に乗った」

「そもそもハゲだしな」。

…ここに僕はいつも違和感を覚えます。

仕事が多いからと言って僕に価値があるわけじゃない。

逆に、仕事が何にもないからと言って、僕に価値がないわけじゃない。

僕は僕で文章を書いたり本を読んだり

楽器を爪弾いたりしている自分に価値を感じています。

それは、誰であっても同じだと思っています。

お金を稼いでいる人が偉いわけじゃない。

金持ちだからと言って価値が多いわけじゃない。

(経済市場としては高価値なのかもしれないけど、

そんなもの人間の価値において、ほんのごくわずかです)

とりあえず、人の役に立つことはできてたらいいな、とは思っているけどね。

それによって、自分の承認欲求も満たせて、お互いにありがとうと言って、

しかもおまけにお金までいただけるのであれば、それは幸せなことです。

僕は今、幸せな生活を送らせてもらってます。

でも、明日には明日の風が吹く。

明日、僕が仕事なくなってぶらぶらしてたら、お酒でも誘ってください。

凋落する覚悟はできてます。

その上で、この僕が僕のまま、僕を尊重してくれる方のために、

人様の役に立つことがあれば、頭を垂れてなんでも尽力します。

贅沢ができずとも、飯が食えなくなることはなかろう。

飯が食えなかったらそこまでだ。

自分の生き方を曲げて迎合するよりよっぽどマシな生き方です。

背筋は伸ばしてこうべは垂れて

身の丈以上に大きく見せようとせず

感謝の気持ちと礼節を持ち、その上でなお芯を持つ

家族焼肉パーティ

いつもお世話になってる団長さん宅で

家族焼肉パーティ。

コロナになってからなかなかこういう時間も作れませんでした。

なかなか外出が危ない方もZoomを繋いで遠隔飲み。

Wさん夫妻Kさん夫妻ありがとうございました!

ほんと、こういう時間が貴重でした。

2歳児のNくんにも懐いてもらって「たしゅく!」「おしゃけ飲みたい!」と元気にニコニコする姿にどれだけエネルギーをもらったことか。

同時に、僕はこういう「幸せな家庭」「自然な家族」「(語弊あれば失礼)普通の生活」というものに30年前に背を向けてここに来たんだよな、と再確認。

マイホームスタイルを否定し破滅的に生きる昭和の文豪に憧れちゃったのだから、そりゃ、しょうがないよね…。

僕は僕で変態紳士生活を続けていきます。

健康には気をつけつつね。

僕はペテン師

どこまで行っても僕はペテン師。

皆様をペテンにかけるのが僕のお仕事。

それ故に、お客さんのペテンが解けたら、おしまいなのよ。興味を無くされたら、そこまで。

本来なら、ペテンが掛かってるの間に雲隠れするのが正しいペテン師道なんだろうけどね。

まだまだ、もっとたくさんの方に楽しませたい。ペテンにかけたい。それ故の映像屋なのだから。

さあ、お客さまを探しに行こう。

男の競走

僕はつっぱったり背伸びしたりする、いわゆる「男の競走」からは全く外れております。

そういうの、あんまり、好きじゃないもので。

僕は

・ねむい

・つかれた

・おなかすいた

・トイレ行きたい

は包み隠さず言うようにしています。それを突っ張って凛として立とうとは思わない。むしろそのまま食べて寝てトイレ行ってきてから凛として立てば良いじゃないか、と思う。

国を愛する方への追悼として。

投票する先は、一人一人が真に日本の未来と向き合い、自分で決断した先であればそれで良い。その先が自民党でもれいわでも共産党でも構わない。

忌むべきは「あそこに入れろ」「あそこはやめろ」「こうあるべきだ」と、他者の意思を捻じ曲げること。そして、考えずに付き従うこと。

議論は良い。議論は大いにしよう。だが、強制(誘導や説得、同調圧力といった手段含む)は断じて許されない。

一人一人の意志と信を問う。

それが民主主義ではなかったか。

常に考えろ。教養を身に付けよ。思索から逃げてはいけない。

僕の意志。僕の言葉。僕の所作。

お仕事を抑えております。

いや、えーと、お声がけいただいたものは断らず、こんな僕がお役に立てるものはなんでも尽力するスタンスは変えておりません。そして元来営業なんてしたこともなくただ口を開けて寝っ転がっているだけのスタンスで生きてまいりました。その中で「抑えるもへったくれもあるか」と言われそうですがまあ、なんというか、皆様にご協力いただいてすこし自分の手元で行う作業を削減しております。決して代理店業務で飯を食おうなんて思ってるわけじゃなく、ちょっと自分の作業負荷を減らしているのです。

とはいえ生来の作り手気質。もっというなら喋り手気質。そもそも手を動かして口を動かしてなんぼの僕は、ここの負荷を減らすことは死を意味します。利益も出なくなります。売り上げも下がります。(結論から言うと下がってないんだけどね)

それでもあえてのお仕事抑え。これは畢竟「いつか仕事を制御しなければならない日が来る」と5年前あたりからずっと思っていたことで…。

ずっとずっとずっと、ありがたくもお仕事をいただいてなんとかご飯食べることができてまいりました。しかしながら、ずっとずっとずっとアウトプットばかりに勤しんでいたら、当然自分自身の作るものはパターン化し、楽に稼ぐ方法ばかり覚え、ノウハウを身につけて右から左に横流しでお仕事が進められる様になり…。

それ、あかんやつ。

腐っても物作り屋の端くれに居させていただいている人間としては「ビジネスや商売へのスタンスはさておき、ものづくりに対して誠実であれ」は根幹姿勢なのです。芸事の神様弁財天、物作りの神様ヴィシュワカルマ神(舌噛んだ)、工芸の神アテナ、芸術の神アポロン。古今東西神様はみんなその姿勢を良しとして、僕らを見守ってくださっておるのです。

いやまじで、別に宗教も信仰心もなんもないけどさ。神様(及びそれを伝承してきた人間の叡智や姿勢)は間違いないものがあると思ってるわけで、その神様に、ご先祖様に嫌われない様な姿勢で生きることによって僕はなんとか生き延びてこれたと思っているのです。

で。

今できること、昔見てきた作品の残滓だけでモノ作ってたらダメになる。

ちゃんと「仕事やビジネス抜きで」作る側も鑑賞する側も自分の時間を確保しないとダメになる。

そして5年後には野垂れ死ぬ。

と、最近お仕事をしている中で、自分の演出が通用しなくなりつつある危機を間近に感じてしまったのです。その結果「もっと自由にならなければ」と思い至ったのです。

仕事をする時間を削り、ちゃんと作品を見て、街を歩いて写真を撮って、楽器を奏で、絵を描いて、ゲームと戯れてCGに触れて…。

もともと学生時代はその辺りが日常にあったはずなのに、気がつくととてもそんな余裕のない毎日を送っていました。

ダメです。それではダメなのです。

僕は一般人ではありません、真っ当な社会人ではありません残念ながら。そうなりたくて20年くらい頑張ってみたけれど社会の方が受け入れてくれませんでした。なんとか生きていける道を探して結果が「遊んでることで価値を生み出す人間」というポジションです。

遊ばなくなれば…一般人になるかといえばそうでもなく「社会人にもなれない上に価値も出せないただの残念な人」になります。故に遊ぶのです。

昨日はぶらっと深夜1時にカメラを持って大久保の裏通りを歩き、深夜2時にはふらっと新宿で一本映画を見て、朝の4時に散歩がてら徒歩で帰宅。

こう言う日々を送ることで、価値を産み出さなければいけないのです。

なんの映画を見てきたかって?

そんな野暮なことを聞いちゃいけない。

秘すれば花。

私の、好きな言葉です。