WADAYA10周年

株式会社WADAYAがなければ、今の僕は存在しない。

もちろん、株式会社彌榮も存在しない。

そう言い切って過言ではない。

WADAYAが会社として創業するよりずっと前、和田社長が個人事業として「和田家」を行っていた時から、ぼくは横浜にある和田氏の自宅兼事務所に出入りしていた。

思い出す限り、あれは2009年ごろからではなかろうか。

ずっとずっと、和田圭介氏の丁稚として、様々な現場にアシスタントとして連れて行ってもらったり、何日も泊まり込んで映像を編集させてもらったり、夜を徹して酒を飲みつつ映画話に花を咲かせたり…和田社長と一緒に映像を作り、見た人に喜んでもらう体験を重ねるたびに「映像で生きる」というスタンスに憧れた。

2014年末、僕が会社員としての進路に悩んだ時、和田社長は言ってくれた。「僕も独立する。会社辞めて、一緒に何かしないか?」と。

「一緒に」とは言っても、友人と雇用被雇用の関係になるのは僕も彼も望んでおらず、僕は個人事業主として独立し、和田氏は株式会社WADAYAを立ち上げた。

時は2015年。小人数で映像を仕上げる。まだまだ分業化が当たり前だった時代に、WADAYAと僕は、二人で現場に行き、僕が編集して仕上げる、そんな日々が続いた。

今思い出すだけでも何十案件あるだろう…いや、百を超えている可能性もある。とにかく、嵐のような数を、和田氏の審美眼に適うクオリティで、高速に出す。手を抜いたところは一瞬で見抜かれる。説明できないところも見抜かれる。

僕はとにかくこの場所で鍛え上げられた。

和田氏は言った。「ここは時と精神の部屋みたいなものだ。ここを出た時、輔はスーパーサイヤ人みたいになってくれてたらいいな」と。

少しづつ、僕が自分の仕事を引き受け始めた時、基準は常に「WADAYA」だった。彼なら、WADAYAなら、どこまで仕上げてくるだろうか。どこまで追求してくるだろうか。

その指標を基準に僕は映像を作ってきた。

その結果…僕はスーパーサイヤ人になれたのかどうかはわからないけれど、少なくとも10年間、僕は映像制作でご飯を食べている。そして、サイヤ人ならぬ変態紳士になってしまった。こればっかりは和田氏も想像外だったんじゃないかな。

その後も、会社は違えど共に歩みつづけ、時にはWADAYAスタジオでラジオを収録させてもらったり、一緒の現場で仕事をしたり…今も「映像で生きる」術を共にさせてもらっている。

「輔のクオリティじゃまだまだだよ」「そんなものは作ってない」と言われることは承知の上で。

「変態紳士」というブランドの僕も、WADAYAが作ってくれたコンテンツの一つだよ、と。

10周年、おめでとう。

創業10周年を迎えました。 - <映像制作会社を横浜でお探しの方>動画の企画制作・撮影スタジオ|WADAYA STUDIO

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