何も大丈夫じゃない

今まで大丈夫だったから今日も大丈夫!というのは何も担保していない。

昨日運転して事故なかったから今日も大丈夫。

昨日会社が潰れなかったから今日も大丈夫。

昨日家族が夜逃げしなかったから今日も大丈夫。

昨日逮捕されなかったから今日も大丈夫。

昨日地震起きなかったから今日も大丈夫。

ただ、全てにおいてこの担保を外すと発狂しかねないし、生きられないので、バランスは必要。しかもどのバランスで大丈夫と思うかは他者がルール化したり法整備したりはできない。

故に、昨日までの根拠を振りかざす老体(ここでいう老体は年齢では無く、意識が凝り固まった人材)が跋扈するのである。

50年前の運動神経のつもりで運転し続けるご老体も、新規事業に前例を求めるお偉も、勤続年数を元にお金を貸す銀行も本質的には変わらない。

それが悪いわけじゃないんだけどね。だって人間の頭脳と精神力は、それ以上の恐怖に我慢できないのだから。ああ、愛おしい世界。

明日は風神雷神が舞い降りるかもしれないよ。

「何か起きたらどうしよう」は大人の発想だ。

「何か起きないかな」が僕ら子供の発想だ。

長生き

もっと生きたい。でも、長生きしたいとは微妙に違う。

生まれ変わりたいわけでもない。今の人生で十分。

だけど、まだ。僕は僕のまま、もっと大きくなりたい。大きくなったらできること、なれることを増やしたい。

ピアニストにもなりたいし、お医者さんにもなりたい。絵描きにもなりたい。世界のあらゆるところに行きたい。いろんな人と会いたい。酒を飲みたい。ステージに立ちたい。技術者として裏方をこなしたい。今のままで。そう、今の僕のままで。僕のままで。この人生のままで。大事なことなので何回も言いました。

今の僕のまま、大きくなったらなりたいものに全部なりたい。

ビジネスマン?社長?政治家?えーと、それは…いいや。ならなくても。

無理だよ、の言葉は放っておく。なりたいこと自体は自由だ。

なれなくっても不幸なわけじゃない。なりたいと思ったまま、執着して死ぬんじゃなく「なりたいと、憧れて頑張って死ぬ日を迎えたらそれで幸せじゃん」と思うのです。

達成欲とか名声欲じゃないんです。

何かを成し遂げようと思って生きてるわけじゃないんです。

今のまま。僕は僕の価値観のまま、これを堅持して日々生きていくことが一番大事だし貴重なのです。僕が僕のまま生き続けることで、成り上がりも成長も関係ないのです。

今日はピアニストになりたい。明日はお医者さんになりたい。

それじゃ結局何にもなれないって?それでいいじゃん。

僕はとりあえず映像作家だよ。

それでいいんだ。

比類なきまでにダメな指示コンテ。

書いたの誰だ。僕です。今頭回ってないので後で組み立てます。

(いつもはこんなことしません微に入り細に渡りねちねちねちねちと細かいことを言います意外にも。)

そもそも演出というものはだな、この、なんとか感というものをいかにフレーム内に言語になり得てないニュアンスをコントロールして時間軸内に組み立てていくかを誠心誠意考え抜くのが仕事であってだな「いい感じ」とかいうてはならんのであってそれは職務放棄であって(略)すみませんごめんなさいがんばります。

無題

別に音楽や美術、映像を「ビジネスの道具」「金儲けの道具」として使うこと自体悪くないのだけど。

作る側は「金関係なく作ること自体が好き」「表現することが好き」という気持ちを持ってる人で成り立ってて欲しいよね。

金儲けのためにやってきて、儲からなくなったら去っていく人、苦手なのよ。

「俺のこと承認しろ」

俺は売れてるバンドマンなんだぞ、だったり

上場企業の部長なんだぞ、だったり

芥川賞作家なんだぞ、だったり

年商50億の社長なんだぞ、だったり

どれでも、本質は同じで、「俺のこと承認しろ」なんだよね。

人生の半分は自己承認のマウンティングゲームと、日々の生活費を稼ぐことでなりたっている。

それも愛すべき人生。

だけど、もうちょっと別のことをやりたいんだ。好き放題生きたいんだ。

テッセンになるな

「太客を作らない」

いわゆる太っ腹な客、大口顧客。
僕はこれを作りません。ええ、戦略的に、です。
(誰もなってくれないとか言うな)

太いパイプになりそうな、有難い方がいらっしゃったら、その方を大事にしつつ、急いで他の顧客を広げます。僕の基準として、「売上10%以上を一社で占めるようになったら危険信号」と踏んでいます。

これ、めちゃくちゃ大変です。死にそうなくらい忙しくなります。でも、これは僕的に死守したいポイントなのです。

なにゆえか。
単純です。「すがり」になりたくないからです。
捨てられたら困る。
言いなりにならないと困る。
ごま擦っておかないと来月の売上が困る。

こういう状況を避けておきたいと切に切に思っているのです。

だって、お客さんが無理を要求してきた時に、言いなりにならないと自分の生活が危うくなるとか、それサラリーマン時代の苦渋となんも変わらないじゃないか。それが嫌で独立したのに。

立場が変わったから大丈夫な訳でなく「すがり」にならない様に、フェアである様にいつも意識していないといけないと思うわけです。

これを意識したのは、実は前職の時でした。
上場企業は、一社との取引が売上の25%を占めると危険信号だそうです。株主が嫌がるそうです。
曰く「経営リスクが大きい」と。

上場企業に適合するそのリスク、個人事業主でも全く同じじゃなかろうか。

うちの祖父の言葉。
「テッセンになるな」

テッセン、すなわちクレマチス。
花としては綺麗だが、他の植物に絡んで成長しないと、自立することのできないツタの植物。

自分で立て、と。

サラリーマンじゃ無いから、自立している訳じゃ無い。
小さなお得意先にたくさんご贔屓頂いて、筋の通らないところと喧嘩してでも、自分の筋を曲げなくとも、明日の生活がちゃんとしている、そう言う姿を「自立」と言うのです。

以下引用


僕の知り合いの経営者は、大金をくれるクライアントとは、あえて仕事をしないと決めています。なぜなら、そちらに時間を取られ、いざそのクライアントとの付き合いが終わってしまえば、一気に会社が傾いてしまうからです。つまり、依存することがわかっているし、長期的にどんどん下請けのようになってしまうことが見えているから、「じゃあ、初めから付き合わない」という選択を取っているんですよね。

独立8年目。僕は自立していられるだろうか。
いや、まだまだなんだよなぁ…
いろんな方に助けられて生きてます。生まれてすみません生きててすみません神出鬼没の略

精神的タフさなんてものは知らない

弱い?ああ弱いですよ。逃げるのか、とか、負けんなよ、とか言われるのも嫌いです。やな時は嫌だし、そんな時はさっさといなくなります。我慢なんてしてたまるか。

だいたい「逃げるのか」とか「逃げんなよ」と言われる時は「逃げたら相手の不利益になる時」です。

自分が不利益を被っても相手に大損害を与えるのが好きで「捨て身で地獄へ道連れ戦法」を取りやすい治安上不適切な僕が取る戦略は逃げるに決まってるでしょう。

労働管理者や体育会主義の人間には、こういう開き直り体質の人間が一番扱いにくいのです。扱いにくい存在になりたかったので願ったり叶ったりです。

そもそも、克服しようとかタフになろうなんて全く思わない。

ある側面戦慄するほどに楽観的であり、ある側面めっちゃ脆いです。でも人間みんなそんなのだろう。

僕の強みベクトルは、会社員的なプレッシャーには弱い。ああ弱いさ。知るかそんなもん。というか要るかそんなもん。熨斗つけて返して塩撒いてやる。

それでも、なんとか社会的価値を生み出して役に立ってる自信はあるよ。

「いや、たすくさん、今のその状態に、更に精神的タフさを身につけたら更に強いじゃないですか」「これを克服すればもっと役に立てるじゃないですか」

…なんてものじゃないんだなあ。それを真顔で言う人は、その、何というか、文学を知らなさすぎる。

今日もFMラジオ放送です。

ずっとアピールしないままというのも申し訳ない。
というか毎週定期的にやってるものはアピールすること自体に気が引けてしまうものです。

毎週木曜深夜1時、市川うららFM(83.0Mhz)にて「山本輔のビブリオフィリア」今もずっと継続的に3年近く番組継続中です。今週はもう140回目放送です。長くやっております。
(ポッドキャスト「教えてたすくせんせい」とは別番組です。あちらもあちらで70回近く行っております)

ラジオとは別に週三回10時から16時まで教壇に立ってそれ以外に週一回某県の動画セミナーに顔を出したり月2〜3回地方回ってpremiere実地訓練したりしてるんですが僕は本職物作り屋でしゃべり屋では無いのですがおい皆様聞いており(略)

市川にお住まいの方以外は、こちらからも視聴できます!聞いて聞いて。https://www.jcbasimul.com/?radio=fm%E3%81%86%E3%82%89%E3%82%89

やってることが多すぎてもう何が何やらではありますが、僕が何かをして喜んでくれる人が居るならなんでもやっていきます。「その発言はどうかと思うよ」「そういう行動はどうなの?」と顔を顰める方もいらっしゃるのかも知れませんが、あまり気にしなくなりました。僕が。なので好き放題放言していきます。夢は筒井康隆です。

今週はシルクソニック〜ブルーノマーズ、そしてバットマンニンジャショーの話題からバットダンスといつも通りの僕節を喋り続けております。喋らないと死にます。死なないで喋ります。夢は佐久間象山です。

過去のアーカイブはStand.fmにても配信中!

おお、なんか宣伝みたいだな。宣伝だからいいのだ。

何をなし得たいのか

僕は何がやりたいのか、何ができるのか。何をなすべきなのか。この歳になってもそんなことは知らないし興味がない。その時にやりたいことやるし、なんかできちゃったりご依頼もらっちゃったりしたらやってみるし、できなかったら次に行く。

何かを探求したり追求したりトップに立ったりという欲はない。はっきりと「無い」。

面倒臭いのだ。他人との競争が。猿山が。あと、人に何か言われるのが。遊んでいるうちにたどり着くところこそが僕の立ち位置だ。

はっきりと僕は自分の仕事観を「五歳児の砂場遊び」と定義づけた。やりたいことを欲の赴くままにやる。やりたくなかったらやらない。辞める。そこに理由なぞ存在しない。誰かにコントロールされることも大嫌いだ。

それでも、社会の役に立てるんだよ。実は。

「砂場のお城作り方教室」でも「自由に生きて笑顔をふりまくこと」でも「よくわかんないけどなんか売ります」でも。この世の中のお役に立てるんならそれでいいじゃないか。

僕の作る砂場のお城にお金を払ってくれる人が居たら、最高じゃないか。

ひょっとしたら施工法クリアして快適に住めるお城かもしれないんだよ。僕が建築設計に興味持ってたらね。だから「僕はこれがやりたいんだよおおおお」なんてしがみつくものもない。一つを除いて。

明日はアプリを作るし、明後日は絵を描く。そして3日後にはVJをやり、4日後には撮影をし、5日後には執筆のご依頼を引き受ける。

で、僕の職業は何だ。簡単だ。輔であり彌榮なのだ。

どんな看板も持ちたくないし、「代わり」という意味を持つ「代表」という言葉も嫌いなので(僕は僕であり、誰かの代弁者でもないし、ましてや常識人の代表、社会の公器、等々、おぞましい存在にはなりたくない。もちろんさせてくれないだろうけど。)、組織を持つ気はさらさらないのだが、地元の祭りにおける掛け声「イヤサ!」を屋号につけていることだけは、自分の矜持に関わっています。

後世に何か残したいとも思わん。自分語りをする老人の醜悪さを自分から遠ざけたいと同時に、僕なんかが何か残したら社会から迷惑極まりないと思うからだ。掃除せなあかんやないか。

でも、意外と、子供達は僕のような大人に憧れてくれるようだし、その背中を見せることは未来のためになっているし、世の中の価値になっているようだ。だからこそ、僕はいつもニコニコしていなければならない。疲れてはならない。疲れるくらいなら軽やかに逃げる!ちんちくりんだけどスマートに生きていきます。