今日はBYNDワークスプレビュー!(卒業式)今日はライブ配信型卒業式の上の講師の方々3名という大変素晴らしい形でした。ですので、僕が話し足りない。ここで喋る。まだまだ喋る。
カテゴリー: 【生活】Life Hucks
伏木曳山祭 延期
お祭りはイベントではありません。賑わいの「けんかやま」が来年に延期するだけで、「伏木神社例大祭」は行われます。私も一塊の「けんかやま好きの福岡町生まれ」に過ぎないかも知れませんが、母方を辿れば伏木に生まれを持つものとして、この日は生きる喜びを噛み締めて粛々とすごします。戻ることが出来ずとも、気持ちだけはお参りいたします。腹の底から彌榮を叫ぶのは、来年までお預けです。
ATEM Mini
学校運営の魂
10年ほど前、ある学校のスタッフをしていた頃。
「山本君、君の説明会は長い。効率的に次々と募集成約率を上げるために30分で切り上げなさい」「売上に貢献すると同時に、そういう姿を若手に見せていきなさい。それがビジネスとして正しい姿だから」と上司に言われたことがある。
何か違うな、と思っていた。
特に学長の理念がそうではないことも理解していたし、自分が間違ってると思っていなかった。
同時に、この言葉も言われた。
「意見が言いたかったら、出世しなさい」と。
「やりたかったら政治家になれ」と。
ああ、全く違ったな、と。
多分あの頃にもう自分の気持ちには、このBYNDにたどり着く布石ができていたのだと思う。
出世とは関係なく、僕は世間に発言をするし、影響を与えていく。何故ならば、僕だから。君にできなくとも、僕にはできる。この多動多発言空気読まない正論本論頭固い僕だから。月々の生活お駄賃受取り保身戦略より自分の意見が大事な僕だから。
売上や規範にとらわれずとも、よりすべての人間に優しく暖かい学習環境を作ることができるはずだ。
そもそも経営と教育はまるで別物で、リンクして良い部分と、そうしてはいけない部分がある。それは福沢諭吉の時代に看破されている。
そして、その実例として、父親もそのスタンスで学習塾が経営できていたのだから。
そして、その学校で、その上司に会う数年前、ずっと僕のやり方を肯定して見守ってくれた上司が、今のBYNDのトップ。
もちろん、BYNDにおいて、僕は運営会社と協力する立場の人間でしかない。経営上は。
でも、僕は仲間だよ。BYNDの人間であることに誇りを持っているよ。あの温かい人たちの「BYND愛」を踏みにじってはいけない。そこに僕を生かしてくれようと躍起になって頑張ってくれるみんながいる。こんなの、全力を出さないわけにいかないじゃないか。
(酒入ってません)
親の代から培ってきた教育に対する理念、よりもっと深掘りしていきます。
僕は発言するし、十年前の学校営業スタイルは間違っていたと思っているし、学校業に対する確固たる理念があって、それを仲間と一緒に作り上げているよ。出世という道から外れても。
これが、10年前に対する、僕の答えです。
そして、BYNDはこのご時世でも5日連続授業(オンライン)。講師は全部僕が努めさせていただいてます。
同時に、執筆の場も、登壇の場も、放送の場も、どんどん増えている。
(ブログやyoutubeらの自己発信は除く)
この時期に、本当にありがたいことだ。
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以下引用)
元々比較的長く時間をとって頂いていて、コース内容や講習のゴールを、丁寧に説明をしてくれる。短期間講習という事もあるが、個々の目的をヒアリングしてくれて、目的にあったコース等の案内をしてくれる。(ゴリ押し感は全く無い)アフターフォローの体制等、黙々と話を聞きながら、やり過ぎだろうBYND(笑)と、随所に、当たり前の様に出てくるBYNDの温かみを感じたので、この時点で当たりだなと確信。
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(再度引用)
曜日コースによるクラス指定、くじ引きによる席替えや、講義の後の時間や、懇親会や、課題の発表とレヴュー、SNS等のアフターフォロー他、短期間での講義を補う、関係性の妙というか、楽しく学べる・熱意が伝染するメゾットが考えられていた。(というか、BYNDの想いが見え隠れしている。)一つ一つは、提示されると当たり前に感じますが、曜日を移動できた方が、選択の自由度が増すし席を固定した方が、運用管理は楽だし、懇親会やアフターフォロー等も、スクール選びの条件としては際立つ部分ではない、だからこそ、受講したうえで、これは、(温かみを感じた)BYNDの方針があるからこそ、講師もSTAFFも事務局も、想いが踏襲されていて、他スクールよりもブラッシュアップされている箇所だと感じました。
ブックカバーチャレンジ vol.5
フリーランスになってしまって
僕が会社を辞めることを決意した時のこと。2014年8月。
(退職届を持って出社した日の写真:https://www.facebook.com/photo.php?fbid=925987237417798&set=a.505387736144419&type=1&theater )
いろんなところで僕の経歴を話す機会があるので聞いたことがある方もいると思うけど、僕は「映像屋」になりたくて準備して独立したわけじゃない。
あくまで「会社でいじめられて」追い出された立場だ。
しかも年齢も40超えて、他に転職できるアテもない。貯金もない。食うに困って、仕方なく進んだ道が(師匠との話は割愛)「映像編集の案件を引き受けて細々と食べていく」ことだった。
夢も希望もあったものじゃない。起業家精神もフリー精神もへったくれもない。それしか食べていけなかったのだ。
もちろん、親にその話をするのはとても恥ずかしかった。申し訳なさもあった。不甲斐なさもあった。
「お前、この先どうする気なんだ」「なんでもっと頑張らなかったんだ」という声が聞こえてくると思っていた。
が、実際に両親に退職を伝えた時、電話口から真っ先に聞こえてきた声は、これだった。
「おめでとう」
「ようやく、自分で食べていく道を選んだな」
「よく雇われで頑張ったなぁ…もっと早くこっちにくるかと思ってたのに」
「そもそもマクルーハン的視点において21世紀の資本主義社会はこれから破綻に向かうので会社組織というものは以下略(学生運動経験者である父の話は主語が大きくて長いので割愛)」
予想しなかった言葉の数々。いや、ある程度は想像できたけどさ。最後の文章とか。
自分では追い出されて仕方なく選んだと思った道を、喜んでくれる両親がいる。
そりゃ、自分の中でパラダイムシフトは起きるよね。
この瞬間から、僕の中で何かが吹っ切れました。
そして、昨日。
父とのLINEのやり取りの中で、ふと一言が。
「輔がフリーランスになってくれて」
この人は、本当に心から、僕が会社組織を離れて、フリーになったことを喜んでくれている…。
嬉しいよね。自分の道は間違ってなかった、正しい道を歩んでると、これ以上ないバックボーンから言ってもらえることが自分にどれだけの自信になることか。
そりゃね。コロナの時代、いろいろ苦しいこともある。大変なこともある。
でも、両親が喜んでくれる仕事させてもらえてるんなら、これ以上孝行できることもないだろう。あとは健康を害さないことと。
まだまだ、頑張るさね。タフに生きるさね。

ブックカバーチャレンジ vol.4
端くれとして生きる
暴力団を容認する訳ではない。
が、この価値観。共感しかない。
上に立つもの、組織として若衆への配慮も忘れず、メンツも崩さない。
フリーランスも社会の端モノ。せめて矜持は持って居たい。
(引用)「我々遊び人にもらう資格はない。さんざん社会に迷惑をかけながら、都合が悪くなれば国にすがるのは筋が通らない。若い衆にもそう伝える」(引用終)(引用)「ただそれは自分の価値観。若い衆に強制はしない。暴排条例施行以前、それぞれ経営する会社を通じて税金を払っていた。ヤクザから銀行口座を取り上げ、表の商売から放逐し、実質、無職に追いやったのはお上なのだから、もらいたいヤツがいるなら堂々ともらえばいい」「自分の若い頃は、いつも金策に追われていた。それぞれに生活もある。致し方ないケースはあるだろう。ただ、もらうんだったら、その10倍は地域に尽くせと釘を刺す」(引用終)
ブックカバーチャレンジ vol.3
愛されて46年
お座敷からお声がかかると一瞬自分が「必要とされる価値」のある人間と勘違いしそうになる。全然、まだまだだ。自分は何者にもなってないし何もなし得てない。
「何かなし得ることが生きる価値」と思う目標達成思考、ビジネス思考は嫌いだし、その視点から蔑まれて見られることをどこ吹く風と思って過ごしているが、時にふと「バカにされっぱなしなのも癪だよな」と幼い心が芽を出す。ダメなのだ。それじゃダメなのだ。バカにされてなんぼ。愛されてなんぼの生き様だ。人様より優越に立とうなんてゆめゆめ思ってはならぬのだ。
へらへら生きてるんじゃねぇよ。と言われたら、こっちは心底覚悟持ってへらへらしてるんだよ。と言い返したくなる。これがいけない。くれぐれも、実業には手を出さない。なんどもいうが、優劣を競う資本主義世界の競争ルールに則るつもりはない。
僕自身には、なんの価値もない。愛されて46年。それだけで十分。その他の価値は要らない。一抹の命であり細胞の集合体だ。神出鬼没の変態紳士はただの概念だ。




