二人の友達

今から、二人の、友達について話をしよう。
まず、この二人には接点が全くない。僕の交友関係をほとんど全て知っている自分のかみさんでさえ、一人(仮にこの友人をH君としよう)とは会ったことがない。僕も、自分が結婚してから15年、彼と一度も会う機会を得たことが無い。
もう一人の友人(こちらを、W君とする)は、前職で知り合った僕の大事な同僚の一人だ。今も、仕事を超えて幅広く、何度も彼の家で夜を明かしたり、飲み明かしたり、時には一緒にモノヅクリをしたりと、あらゆる意味で悪友として今もつながっている。
 さて、H君。彼は僕が高校時代、東京で受験勉強の合宿に参加したときに出会った少年だ。少年と言っても、当時16歳。僕も同い年だから、今はもういい年齢だろう。栃木の片田舎からやってきた彼は、僕と違って高校時代を「らしく」謳歌していた。当時流行っていたパーカーやスニーカーを着こなし、女の子とも緊張せずに会話し、時には弱く、時にはふざけて、陽気に高校生活を満喫する「普通の」好青年だった。
 こう言ったら、当時僕と高校時代をほとんど共に過ごしていたヒロポンを初めとする同級生に怒られるかもしれないが、僕はどちらかというと「モテない」「根暗な」「引きこもり気質の」高校生で、同級生たちと夜な夜な麻雀に明け暮れるような高校時代を過ごしており、クラスの女の子ともトータルで5分程度しか会話したことのない寂しい高校時代を送っていた。
 そんな僕の前に、彼は颯爽と現れた。
 いや、現れた、なんて仰々しいものではない。たまたま合宿のクラスで隣に座ったことをきっかけに親しくなり、その周辺に居た数名の友人たちと、合宿の期間を仲良く過ごす関係になった。5人ぐらいの仲良しグループとなった僕らは学食?を共にし「次の授業、なんにする?」と相談して一緒に参加して、ときにはサボって抜け出して、代々木から原宿に電車を乗り継いで一緒に竹下通りのアイスクリームを食べた。かわいらしいものだが、僕にとっては生涯かけがえのない「明るい高校時代の一ページ」を彩ってくれた大事な仲間たちだ。
 合宿が終わった後も、一緒に一日かけて大学めぐりをした。新潟や群馬、栃木といった地方から出てきた仲間たちばかりだったので、お互いに同じ目線で「東京」を楽しんだ。本当に、楽しかった。
 高校を卒業し、それぞれ大学に進学してからも一緒に遊んだ。時には友達の実家に遊びに行き、時には東京で酒を酌み交わした。
 そして、その当時の仲間たち。当時は5名ほど居たが、大人になり、時がたつにつれ、連絡が取れなくなる仲間が一人増え、二人増え・・・今でも連絡が取り合えるのは、今はデンマークに居る一人の女の子だけになってしまった。これも、仕方がないことだと割り切っている。人はみな、年を取るにつれて交友関係も、背負うものも変わっていくものだ。寂しいものだけれどね。
 話を戻そう。その中の一人、H君。彼は僕に、「正しい若者の在り方」を教えてくれた。
 捻くれて、映画や小説に閉じこもった毎日を送り、将来に重苦しさだけを感じていた当時。素直に同級生との恋愛のことで悩み、進路のことで悩み、ファッションの話題や学校生活の話題を繰り広げてくれる彼は、僕の目にとてもまぶしく見えた。ああ、これが高校生なんだ。これが16歳なんだ(同い年なのに)。と。
 大学に入ってからも、僕は彼の生き方をある意味規範に生きてきた。「彼ならどうするだろう」
 それは、いつもとは言わないまでも、間違った方向に(それは無理をしたり突っ張ったりしない、という意味で)進みそうな自分に歯止めをかけ「もっと素直にいこうよ」と若者らしい決断をさせてくれる役割を果たしてくれた。
 本当に、彼には心から感謝しているし、今でも尊敬し、あの頃の彼に憧れている。
 彼に直接会ったら、そんなコトは決して言わないのだけれどね。「お前、今まで連絡もよこさず何やってんだよ!」とパンチの一発もかわしてやる。
 そして、W君。こちらは、最近の僕の交友関係を知る人なら、ほとんどの人がピンと来るだろう。前職を共にした、才能溢れるクリエイターの一人。カメラマンにして、映像屋・・・カテゴリー分けに意味がない。生粋の「モノヅクリ屋」であり、同時に人と人をつなげてビジネスと価値を生み出す、有能なディレクター/プロデューサーだ。
 出会ってから十年。未だに、毎日のようにLINEを交わし、一緒に映像や作品を作っている。いや、そう言っては御幣がある。僕は全く彼に敵わない。モノヅクリの楽しさ、厳しさを、生き方レベルで教えてくれる、その意味では僕が心から認めている「師匠」に当たる人物だ。
 この「師匠」にして「友人」というのが非常にややこしいのだけど、「師匠」としては僕は素直に彼の教えを吸収しようとがんばりつつ、「友人」としては、フラットに対等に、素直に心のうちを言うようにしている。
 彼もまた、僕の生き方を大きく変えてくれた。それは、たまたま新卒で映像の道に入った僕を、きちんと「その道でがんばってみないか」と声を掛け、足りない部分を鍛えなおしてくれて(まだまだ鍛えられているが)、こんな僕を(わずかながらも)片腕として重宝してくれている、貴重な存在だ。
 お互いに会社を離れてから、より親密になった。
 時には彼の家でひたすら映像を作ったり、時には六本木から赤坂まで二人で散歩しながらヨシナごとを語りつつ、将来の展望を共有したり、お互いに海外に出たときも(これは時代性なのだろうが)すぐさまLINEで連絡を密に入れてくれる。そんなときくらい離れなさいよ、とも思うけど、それこそ家族か兄弟のように一緒にやり取りをしてくれる、三十代を超えてから出会った仲間として、奇跡のような存在だ。
・・・
なぜ、この、無関係な二人のことを唐突に記述し始めたか。それには、当然訳がある。
片や16歳~20歳までの付き合いがあったH君。
僕が30を超えて転職した職場で出会ったW君。
二人とも同級生、そして僕の生き方に大きく影響を与えてくれた二人。
当然、二人に接点は全く無い。栃木の生まれと神奈川の生まれ。片や(話に聞くところでは)公務員をしながら日々がんばってるとの噂。もう一人はクリエイターとして(多分彼はクリエイターという言葉で呼ばれることを嫌うのだが)、デザインワークや新たなワークスタイルの模索など、21世紀型の生き方を、それこそ呼吸をするように体現している。片や三兄弟の末っ子、片や姉妹に挟まれた中間子。家族構成も、地域も、性格も、性質も、生き方も、全く違う二人。共通してるのは、僕に影響を与えてくれたこと、だけ。
 先日、W君の家で、彼が高校時代の写真を見せてくれた。
 その写真を見た瞬間、僕は、激しい衝撃を受けた。
 誰に伝えるわけでもない、伝えられるわけでもない。この思いは、誰かと共有することはできない。
 その写真に写っていた高校時代のW君の姿は、あの頃僕が一緒に居たH君の姿に、うり二つだった。
 
 誰かの影を追って生きているわけではない。僕もさすがに四十を超え、自分の道を生きている。
 けど、常に近くに居てくれる存在は高校時代からずっと変わらない「彼」なんだ。
 まるで、三島由紀夫の「豊饒の海」における松枝清顕のような。輪廻転生。きっと僕はそのうち、ジンジャンにも、透にも出会うのだろう。
 この世界は、本当に素晴らしい。
 

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