最近ものづくりに励んでおる。ハゲじゃない励んでいるのだ。
ことの発端はこうだ。
「1ヶ月に一つ映像作品作るって言いましたよね」
ああ言った確かに言った作る必ず作る。決してこれを言い訳にして作品作りを誤魔化そうという意図はない。
ただ作品作りとは全く別軸で「習作」という概念を忘れては行かぬと思いたったのだ。
エチュード、練習、クロッキー。
AIやプラグイン、様々なツールが世の中に出回っている。
僕は基本的にそれらのものを「情報商材」「誰でも使って簡単クリエイティブ!」「楽々お金稼ぎ!」というチープなものとは思っていない。
もちろん、世の中の万人が使って便利になるものであってほしいとは願っているが。
ただ、こちとら作り手。芸人稼業。「ほうら、こんなものができた!」と右手のハンカチをふわっとめくると鳩が飛び出すようなことをやって日銭を稼ぐ商売である。
AIにしろツールにしろ「人が想像しない使い方」や「なんでそんな無駄なことに使っちゃってるんですか馬鹿なんですか」と思われることをどれだけやるかで僕の価値が決まる。
そこにはエチュード、習作の多寡が大きく影響する。
僕は畢竟、デジタルツールを「筋トレがいらない、練習がいらないもの」ではなく、結局は身体性「習熟・筋トレ」が必要な分野だと思っている。シンセサイザー使いが結局ピアノ弾きの能力を求められるのと同じだと思っている。
じゃあ作らなきゃ。アホなもの作らなきゃ。「なんですかこれ」「何やってるんですか」「無駄じゃないんですか」というものを作り続けないといけないのです。
要するに無駄で馬鹿な日々を送ることを自分で肯定してしまおうという人生への言い訳である。
他者の協力を仰ぐ作品ではあまりアホなことはできない。というかちょっとそれはまだ時期尚早だ。
自分一人で作るものならどれだけでも自由にできる。
そして習作は基本人に見せるべきでは無いと思っているが、ポリシーよりも露出癖が表に出る僕は全部出してしまうのだ。
というわけで作っては出し作っては出し、喋っては作り書いては作り。
AIもBlenderもCinema4DもTrapcodeもUniverseもなんでもまずは使って作って晒す。まずはそこからだ。
鬱陶しい日々を送り続けるのである。
こんな僕の鬱陶しい姿を見たくない人は僕を仕事で忙殺してください。
もっと見たい方は僕の生活の面倒を見てください。認知してください。
どちらにしろなんか作る。芸してないと死ぬ。
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Clockwork Steam
2024.9.21
Taskyamamoto