デジタルハリウッド大学に関わったものとして、あの場所には母校愛がある。
親世代から数えると、僕はなんだかんだと教育業、学校業から離れることなく、半世紀を過ごしてきた。
今となってはBYNDという欠かせない大事な学校があり、僕はその中で教鞭をとらせてもらっている。時には志、送辞を語らなければいけない立場を背負うこともある。
僕は学校に必要なものが「校歌」「校旗」「キャンパス」だと思っている。この3つがシンボルとなり、また「カリスマ」としての校長、学長が存在してこその学校だと考えている。
BYNDはありがたくも僕の思うカラーを注ぎ込ませていただいたけれども、デジタルハリウッド大学の頃、僕は大学に対し何を思想的に埋め込んできたか…。
そこで初めて、我が母校「早稲田大学」への憧憬に戻ってきてしまうのです。
大学超えて30年経って今更自分の大学に思い入れなんて学歴引きずってるだけじゃね?という意見も至極ごもっとも。僕だってそんなに日々を考えているわけじゃない。
ただ、妻も同窓、そしてなんだかんだと引っ張られる様に居も事務所も四谷〜高田馬場〜落合と「新宿集合体」近辺、いつの間にやら高田馬場創業支援センターの方と仲良くなり、高田馬場オンザコーナーで飲み浸り、高田馬場経済新聞の方と仲良くなり、早稲田大学の卒業式後の暴れっぷりをみてきた。
素晴らしい。もっとやれ。
令和の時代に大学生はどうなったかと思っていたが、まだまだ早稲田魂は残っている。早稲田精神高揚会とかガーディアンとか早稲田乞食とか今でも残ってるんだ。
改めて、早稲田のパワーを感じ取って…
1・僕はデジタルハリウッドにそのパワーを残して来れただろうか
2・BYNDにこのノリはどこまで浸透してもらえるのだろうか
高田学長の言葉も素晴らしかった。
他者を理解する「しなやかな感性」と「誰にでも居場所がある社会を実現」し「自分と異なる人々を包摂(インクルージョン)する」ことの重要性、本当にこれから大事になる事ばかりです。
改めて、この大学を出てよかった。
ここで、居場所を作れてよかった。
そして30年経ってまたこの場所に戻って肩組んで「紺碧」を歌うことになるとは思わなかった。
さらには「来年、100キロハイク出ますよね」と、30年越しに100ハイに出ることになりそうな自分に驚いている。
とりあえず冒頭にデジタルハリウッドの話題から切り込んだのは導入トークの一つだが、ざわざわしながら読んでもらいたかっただけだ。にしても、どちらもすごい大学だし、BYNDも同じ魂を包摂して頑張っていくのだよ。
未来に向けて、若い人たちを助けて、頑張っていきましょう。
