お祝い週間である。
50歳を超えてから、お誕生日Weekはたくさんたくさん祝ってもらってる。

なんだ「40代は百花繚乱だったけど、50代にもなれば運気も下がり続けてきたかな」と思ってたけど、全然そんなことはなかった。まだまだ華やかだった。
とにもかくにも、人に愛されていないと存在価値がない人間。これはもう「愛されて嬉しい」という生半可なものではなく「存在意義」と言っても過言ではない。
無論そこに依存するわけではない。畢竟、人間は孤独なものである。たとえ自分一人になる時が来たとしても、独り晴耕雨読の生活をする未来も視野に入れている。寂しがりは自覚しているが、人間はそれほど孤独に弱い生き物ではない。
ただ、今は社会の中で愛されることで果たすべき役割がある。それはあたかもパンダのように。パグのように。なんだどちらも短足ではないか。僕のことだ。僕は人間じゃないので寂しいと死ぬ。
有り難くもお誕生日パーティを開催いただいている。卒業生ほか様々な場所で、僕は嬉しい機会をいただいている。
家族からも「51歳でこの誕生日会を開いてもらえるのは…あなたすごいな…」と半ば呆れがちに見守られている。
そうなのだよ僕は51歳なのだ。小学生や大学生ではないのだ。なんだこの状況は。この人生は。
…考え得るとしたら、僕は多分「私利私欲」が薄くなってしまっているのだろう。
・誰かが僕を助けてくれている。
・助けてもらっているから僕は生きている。
・生かされて、生きている。
・生かされなくなったら、ジタバタせずに終わり。
・永続性なんて知ったことか。いつか人間は役立たずになってくたばるんだ。
・でも、みんなが助けてくれている限り、僕は生きる。
・僕に何か役に立つことがあれば、助けられることがあれば、その間は倒れないで頑張り続ける。それが僕の「永続性」だ。
・自分のために生きる気なんてとうに捨てた。サラリーマン辞めるときに捨てた。
・できることなら、僕と同じ悲しみを感じて欲しくない。そのためには「僕の理解してる範囲の『生き抜く武器』を惜しみなく渡していきたい。
その思いが、この世の中の数十人の方に、受け止めてくれているのだと思う。
感謝して、生きる。

この後190人が持ち回りでお誕生日会の幹事を務めてくれるらしいので、実質僕は241歳まで生きていかなければならないことが確定している。
生き抜かなければ。そのために必要なのは、健康、教養、愛嬌、そして「言葉」だ。
みんなありがとう。生かしてくれてありがとう。僕の人生を彩ってくれてありがとう。
できる限り、この彩りを皆の人生に返していくからね。
以上、彩度100%の人生を歩む僕でした。

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